BACKCOUNTRY RESEARCH

風雲、雨霧、北八ヶ岳登山|衣食住を背負って1泊2日

文・根津貴央 写真・布施智基

見慣れた景色も、天気次第で印象はまったく異なる。苔の森というイメージが強いこの山域もしかり。まだ見ぬ北八ヶ岳を求めて1泊2日のテント泊山行へ。

石田 啓介(いしだ けいすけ)

1978年、愛知県生まれ。名古屋のアウトドアショップ『MOOSE (ムース)』代表。一年を通じて、トレイルランニング、ファストパッキング、ウルトラライトハイキング、スキーを楽しむ。八ヶ岳は好きな山域で、これまで何度も訪れている。

木々は瑞々しく、葉っぱや樹皮についた雨粒が輝いている。

スタート地点の麦草峠から茶臼山までの登り。雨と霧のおかげで神秘的な雰囲気が漂う。

「雨か……」。スタート前、麦草峠の駐車場に着いた時には、すでに本降りになっていた。

 これが北アルプスや南アルプスだったら、山行を中止していたに違いない。リスクはもちろんだが眺望が期待できず楽しくないからだ。でも今回は違った。晴れに越したことはないが、不思議とそれほどイヤな感じはしなかった。

 大粒の雨に打たれつつ、麦草峠から歩きはじめる。一面に広がる樹林帯は、鬱蒼した感じはなく、太陽は少しも出ていないのになぜだか明るい印象を受ける。木々は瑞々しく、葉っぱや樹皮についた雨粒が輝いている。まさに北八ヶ岳らしい世界が広がっていた。

 晴天が正義というわけではないのだ。雨には雨の良さがある。季節に春、夏、秋、冬と四季があり、それぞれが他にはない素晴らしさがあるのと同じように、天候にもそれぞれの魅力があるのだ。

 途中、ときどき休憩をはさみながら、茶臼山 (標高2,384m) までつづく長い登りを進んでいく。こんな日は、展望の良さで知られる茶臼山にどんな景色が待っているのだろう。

木肌に目をやると、至るところに美しい苔が自生していた。

 茶臼山にたどり着くと、あたりは真っ白だった。ガスっていて、数メートル先までしか見えないほど。しかも、足を踏ん張っていないとよろけてしまうほどの暴風だった。

 「樹林帯は静かだったので、まさか、山頂がこんなに悪天候だとは思っていませんでした。でもいろんな天候が味わえて、これはこれで面白いですね」と石田さんは笑みを浮かべながら言った。

 そんな懐の深さを見せる石田さんだが、実は彼、自他ともに認める大の雨嫌いなのだ。山行はもちろんのこと日常生活においても、雨が降っているとテンションがまったく上がらない。そんな彼がにこやかにそんなことを口にするくらい、雨の北八ヶ岳は素晴らしいのである。

大岳の近くにて。溶岩流によって形成された岩が点在。

 山に行くと絶景を期待することは多いし、標高が高いぶん遥かかなたを眺めたくなるものだ。でも今回のように遠くが見えないと、おのずと近くのものに意識がいく。たとえば、樹皮に自生している苔だったり、登山道の脇に生えているキノコだったり。普段であれば見過ごしてしまいそうな自然が、次々と目に入ってくる。それはあたかも脇役が主役になったかのようで、そんな気づきを得られるのも、雨の効能なのかもしれない。

 今回の1泊2日の北八ヶ岳山行は、おそらくこのままずっと雨模様なのだろう。今のところ楽しいから問題ないが、これから先どうなるかはわからない。いずれにせよ、いかに雨を楽しむか? がこの旅のテーマになるように思えた。

 雨池峠から縞枯山荘方面につづく樹林帯を抜けるところで、辺りが明るくなっていることに気づいた。はじめは、樹林帯が終わったか……くらいにしか思っていなかったのだが、ふと見上げると青空が広がっていた。一時的に雨が上がることはあったとしても、まさか青空が見えるとはまったく想定していなかった。

 またすぐに雨が降ってくるかもしれない。つまり青空もこの一瞬だけかもしれない。そう思って、今朝からずっと着つづけていたレインジャケットを脱ぎ、レインパンツもしまった。なんだろうこの解放感は。身も心も軽くなった心地がした。湿った風も乾いた風に変わっていた。これまでとは一変した雰囲気のなか、軽やかな気持ちで縞枯山荘の前に伸びる木道を歩く。

急に雨が上がり青空が顔をだす。軽やかな気持ちで縞枯山荘の前に伸びる木道を歩く。

 歩いていて気づいたのは、解放感の理由のひとつが木道に起因しているということだった。これまでずっと雨のなかを歩いていた。楽しく歩いていたのだが、滑ったりくじいたりしないように足元にはかなり気をつかっていた。雨天であれば山に限らず当然のことで、大して気にもとめてなかったし、無意識でやっているくらいのことだった。でも、それがなくなるだけで、こんなにも気がラクなのか、精神的なゆとりが生まれるのか、とあらためて気づかされた。

 次に現れたのは、坪庭自然園。通称、坪庭だ。北横岳 (標高2,480m) の噴火で噴出した溶岩が固まってできた溶岩台地に、高山植物が広がっている。これまで樹林帯が多く、穏やかで柔らかだった雰囲気が一変し、ゴツゴツとした岩石が至るところにあり、荒々しい。もう青空も見えなくなっていた。雨は止んだものの、大きな雲がただよい、時折ガスがあたりに立ちこめる。

 良い意味で、自然に翻弄されている気がした。雨一辺倒ではおもしろくないし、晴れ一辺倒でももの足りない。そもそも登山というのは、自然を楽しむのが目的で、自然と戯れに来ているのだから、このくらいの変化がちょうど良いのだ。くわえて、予想通りや予定調和ではないほうが旅感も味わうことができる。

北八ヶ岳の中でも異質なエリア。森の中の巨岩を飛ぶように渡る。

 北横岳から大岳 (標高2,382m) 方面へと向かう。しばらくは樹林帯だが、徐々に大きな岩が現れはじめる。このあたりは火山活動の溶岩流によって形成されたエリアゆえ、岩石をはじめ独特の景観が広がっている。

 石田さんは言う。「このあたりは八ヶ岳のなかでも、異質でおもしろいエリアですね。岩という点だけで言えば南八ヶ岳の赤岳や権現岳もありますが、それらは見るからに岩で、岩稜帯という印象。でも、この大岳周辺のエリアは、大きな岩がたくさんあるもののあくまで森の中というか、森に抱かれている感じがします」。

 たしかにその通りだ。大岳に近づけば近づくほど岩は大きくなり、数も増える。でもそんな岩だらけであるにもかかわらず、周りには森が広がっているのだ。言われてみれば、不思議な光景である。

大岳周辺にはワイルドな木々も広がっていた。場所場所で異なる北八ヶ岳のさまざまな自然を味わいながら歩く。

 しかも、よくある岩稜帯のように手足を使って移動するというよりは、岩から岩へと飛び移る箇所が多いのも特徴的。アドベンチャラスで、スリルも味わえるエリアなのだが、思った以上に長くつづくので注意が必要だ。特に、双子池に向かう下りのエリアは勾配も急で思った以上に足腰に負担がかかる。

 「個人的にはすごく好きなエリアですが、岩場とかを歩き慣れている人ではないと少しハードかもしれません。あと雨が降っていたらスリッピーで大変でした。ちょうど雨が上がったタイミングで良かったです」と石田さん。

大岳の近くは岩から岩へと飛び移る箇所が多く、アドベンチャラスでおもしろい。

 大岳山頂への分岐点から双子池までのコースタイムは、山と高原地図で1時間20分。雨も上がったしこのペースなら1時間くらいで着くかなと思っていたが、思った以上に長く感じた。岩が多いだけではなく、かなり急な下りだったこともあり、意外とカラダに負担がかかっていたせいで長く感じたのかもしれない。双子池ヒュッテの屋根が視界に入ったときに、安堵感がわきあがってきた。雲は多いものの少し青空ものぞいていて、天気は悪くない。風もない。今晩のテント泊を楽しみにしながら、残りの下りを進んでいった。

静まり返った湖畔でのテント泊。まるで、北米のトレイルに来たかのよう。

 双子池にたどり着き、受付を済ませて、湖畔のテントサイトへと向かう。誰もいない湖畔のテントサイトは、しんと静まり返っていて神秘的な雰囲気が漂っていた。ここは、ウィルダネスなのか? 北八ヶ岳であることも双子池であることもわかっていたが、そんな気すらしてしまうくらいの世界が広がっていた。

双子池のテントサイトでは、眼前に広がる雌池 (めいけ)の水を浄水して使用した。

 「何度も訪れている北八ヶ岳ですが、この時だけは、まるで北米のトレイルに来たかのような錯覚を覚えました。そもそも、日本の山岳エリアでこういう湖畔のテントサイトは珍しいです。景色は最高ですし、浄水器も持ってきてたから水に困らないのもいいですね。水場の近くというと河原でのテント泊もありますが、河原だと増水の心配もあります。湖ならそれもありません」

 何もしなくても楽しかった。今日一日、トレイルや岩場を歩くことや木々を見ること、移ろう天候などの自然と触れ合うことなど、いろいろな行為を楽しんできた。でも、もう何もしなくてもいいと思った。何もしなくても、ただここにいるだけで、もうそれだけで満たされた気分になっていた。

 石田さんは、これまで自身のスタイルとしても、チャレンジングな山行をすることが多かった。今回のような1泊2日の日程でもこの倍くらいの行程だったり、時には走ることもあったり、あるいは軽量化を意識して、よりUL (ウルトラライト) なギアで旅をしたり。北八ヶ岳には何度も訪れているが、この日程でこのルートというのは、初めての試みだった。

小型軽量ながら十分な火力のあるMSRのポケットロケット2。

 「テントサイトにこれだけ長時間いるというのは、久しぶりです。ここしばらくの山行は、行動することがメインで、サクッと寝て翌朝早くにまた出発、という感じでした。でも、この双子池のテントサイトは最高です。何もしなくても満足感がありますし、長く過ごすからこそ、軽量ながらもダブルウォールのテントでのんびり過ごすのがおすすめです」

 雨からはじまった今回の1泊2日の北八ヶ岳テント泊山行。雨だけではなく、暴風あり、濃霧あり、岩場あり、絶景なし、そして最後に北米を彷彿とさせる大自然でのテント泊ありと、まだ見ぬ北八ヶ岳、知られざる北八ヶ岳を垣間見ることができた。たとえ何度も訪れている山であったとしても、季節や天候、臨むスタンスやスタイルで、これまでとは異なる旅ができる。そんな気づきが得られる山行だった。さて、次はどこを旅しようか。この北八ヶ岳にまた戻ってくるのも、良いかもしれない。

今回使用したアイテム

THERM-A-REST

マットレス:ネオエアーXライトNXT RS

熱反射板(サーマキャプチャー)を、従来の1枚から薄手のものを3枚重ねる構造にしたことで、前モデルより静かな寝心地を実現。厚さも1.2cm増して7.6cmに。断熱性も向上しR値が4.2から4.5にアップした。

価格:¥37,400
サイズ:51×168cm
収納サイズ:23×10cm
重量:326g 厚さ:7.6cm

THERM-A-REST

寝袋:Ohm −6℃

-6℃対応ながら重量635gというウルトラライト仕様。ダウンには、900フィルのニクワックス・ハイドロフォビック・ダウンを使用することで、一般的なダウンに比べ3倍の速乾性があり湿気にも強い。

価格:¥75,900
サイズ:身長183cmまで
収納サイズ:17×20cm
重量:635g(ダウン量355g)
中綿:900フィルグース
Nikwax Hydrophobic Down RDS

MSR

ガスストーブ:ポケットロケット2

重量73gの超軽量ストーブ。バーナーヘッドは風を防ぐ仕様で、1Lの水を約3.5分で沸騰させるほどの火力を有する。ゴトクは回転させてコンパクトに収納できるので、かさばらず携行しやすい。

価格:¥9,020
サイズ:3.4×4.4×7.9 cm
重量:73g
出力:2,143kcal/h

MSR

クッカー:タイタンケトル900ml

チタン製の超軽量クックポット。容量900mlは、一回で飲み物と食事両方のお湯を沸かせる使い勝手に優れたサイズ。密閉性の高い蓋は、バックパックの中でも外れにくいので安心感がある。注ぎ口は湯切れの良いデザイン。

価格:¥13,200
重量:129.5g
サイズ:12.4×11.2cm

platypus

浄水器:クイックドロー1Lフィルターシステム

システム全体の重量はわずか95g。浄水スピードも速く、スクイーズモードで1Lを約20秒で浄水できる。手間取ることがないため行動中も停滞時もストレスフリー。99.9999%の細菌と99.9%の原生動物を除去するEPAとNSFのガイドラインもクリアしており、安全性にも優れている。

価格:¥11,000
サイズ:5×13cm(フィルター本体)
収納サイズ:8×13cm
重量:95g
流量:3L/分

MSR

テント:フリーライト1

重量890gと、ダブルウォールとしては最軽量クラスの3シーズン用テント。軽量ながらも、設営時の室内は、縦221cm、横84cm、高さ100cmと、居住性も十分。インナーテントにはマイクロメッシュを採用することで、通気性にも優れ、結露を軽減してくれる。

価格:¥63,800
使用サイズ:221×150×100(h)cm
収納サイズ:46x10cm
重量:890g
定員:1人

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