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MSR | ホーボージュン×ウィスパーライト「最後はやっぱりオマエだからさ」

──僕が愛する野外道具に「おこりんぼストーブ」というヤツがいる。
もちろんこれはあだ名で、本当の名前は『MSR・ウィスパーライト』という。
これは僕とおこりんぼストーブの30年以上に渡る物語だ。──

MSR ──僕が愛する野外道具に「おこりんぼストーブ」というヤツがいる。
もちろんこれはあだ名で、本当の名前は『 MSR ・ ウィスパーライト』という。
これは僕とおこりんぼストーブの30年以上に渡る物語だ。
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 ウィスパーライトは僕が学生時代にはじめて買ったガソリンストーブだ。当時の僕はオートバイで旅することが大好きで(というか、それだけが生き甲斐で)野宿の旅に使えるタフなストーブを探していた。
 80年代の日本では、キャンプ用ストーブといえばオプチマスかコールマンが定番だったが、僕があえて MSR を旅の相棒に選んだのは、冒険家の風間深志さんが愛用していることをバイク雑誌で知ったからだ。
 オフロードバイクでサハラ砂漠を横断し、キリマンジャロ登頂に挑み、後にバイクによる北極・南極両点到達の大冒険を成功させた風間さんは、僕にとっては神様みたいな存在だ。その記事には「氷点下20℃を下回ると他のモデルでは話にならない、極地への冒険行では MSR だけが唯一の選択だ」というようなコメントが載っていて、僕は「おお! そうなのか!」と大いに感動し、バイト代をすべて注ぎ込んで風間さんと同じモデルを買い求めた。若さというのは単純なものである。

 しかしこうして手に入れたMSRは一筋縄ではいかないストーブだった。とにかく取り扱いが難しいのだ。
 まず、点火前にジェネレーター(燃料管)を予熱する「プレヒート」という作業が必要だった。
 プレヒートは燃料タンクからバーナー下部の受け皿にほんの少しだけガソリンを染み出させ、それに火を着けてジェネレーターを炙るのだが、これがまず難しい。燃料バルブの回し加減や着火のタイミングを誤ると、ドカーンと巨大な火柱が上がり、前髪やマツ毛がチリチリに燃える。最初のうちはこれが怖くてしょうがなかった。
 正確にプレヒートができるようになっても、その炎はテント内で使うには大きすぎたし、ガソリンの煤はそこらじゅうを真っ黒に汚した。分離型のために火力調節も難しく、最初期のモデルは接続ホースの緩みや燃料漏れ、ジェット(燃料の噴出部品)の目詰まりにも気を使わなければならなかった。
 しかし使い込んでいくうちに僕は少しずつこのストーブの独創性と底力を知るようになる。
 まずスゴイのがホワイトガソリンだけじゃなく自動車用ガソリン、いわゆる「赤ガス」も使えることだった。これなら燃料代が安く済むし、日本中どこでも手に入る。バイク乗りの僕には燃料が共有できることも大きなメリットで、じっさいに山中の林道でガス欠に見舞われたときはMSRの燃料を使ってピンチを脱したこともあった。
 またジェット部品を交換すれば灯油も使えた。のちに僕はコイツと一緒に世界中のへき地を旅するようになるのだが、1990年に初めてサハラ砂漠を横断したときには現地で燃料が尽き、飛行場で分けて貰ったアブガス(レシプロエンジンを積んだプロペラ機用の航空ガソリン)を流用したこともある。こんな芸当ができるのはMSRの他にない。
 また、当時の登山用ストーブは燃料タンク容量が小さく、本体とは別に予備燃料を持ち歩く必要があった。たとえば「オプチマス123R」は120㏄、「コールマン・ピーク1ストーブ」でも330㏄しかタンクに入らない。この点MSRは1ℓの大型ボトルをそのまま繋いで使用できるから、長期間の連続使用が可能だ。何ヵ月も旅をする僕にはこれも大きな魅力だった。
 そして厳寒地での火力についてだが、これは風間さんがいうとおり、本当にパワフルそのものだった。

 92年の年末から翌年にかけ、僕は厳寒期の北海道にいた。約半月をかけオホーツク海沿岸から道東を雪中キャンプしながら旅していたのだ。
 装備は厳重にしていったが、寒さはハンパじゃない。何もかもパリンパリンに凍りつき、目を開けていると眼球が凍って怖かった。だから頻繁に瞬きをしたが、そのたびに凍ったマツ毛がカシャカシャ鳴った。
 大晦日には屈斜路湖畔で野宿をしていたのだが、紅白歌合戦を聞いていたラジオから「上川支庁ではすでに気温が氷点下20度を下回り、新年早々この冬の最低記録を更新しました」というニュースが流れ、東京育ちの僕を大いに震え上がらせた。
 ダイヤモンドダストの舞う雪原でゴーゴーと逞しく燃えさかる炎は、凍り付いた瞳に映るたったひとつの色彩だった。僕はコッヘルに凍った生米と雪を入れるとMSRにかけ、ツララでかき回しながらゴハンを炊いた。羅臼の市場で仕入れた鮭はまるでシャーベットみたいに凍りついていたけれど、逞しいMSRの火力はそれを極上のサーモンステーキに変えてくれた。
 誰もいない雪原でMSRは朝から晩までゴーゴーと燃え盛った。僕はこれで暖かい食事を作り、凍った手袋やスノーブーツを溶かし、乾かした。真っ赤になって唸りをあげ、雪がかかるとジュウジュウと湯気をあげるMSRは、まるで気性の荒い乱暴者が怒りまくっているように見えた。だから僕は彼を冗談半分に「おこりんぼストーブ」と呼んだが、その怒りっぷりが雪山や氷点下の野宿ではどれだけ心強かったことか……。彼がいなければ僕はとっくに街に逃げ帰っていたに違いない。
 その後も僕はおこりんぼストーブといろんなところに旅に出た。
 一緒にヒマラヤにも行ったし、アラスカにも行った。アフリカ大陸は4回、ユーラシア大陸は2回横断している。98年にはマウンテンバイクで南米大陸を縦断したが、この時も丸8か月間ずっと一緒だった。彼はどこへ行っても相変わらず鼻息荒く、シューシュー、ゴーゴーと顔を真っ赤にして怒り続け、弱虫な僕の尻を叩き、厳しい旅を支えてくれた。

 しかし時代は大きく変化した。2000年代に入るとアウトドアの道具にもウルトラライトの波が押し寄せ、僕もロングトレイルを歩く時にはアルコールストーブを好んで使うようになった。
 またガスストーブの性能が著しく向上し、高所登山や雪山でもガス缶が使えるようになった。いまやかつてのようなガソリンストーブの優位性は失われつつある。じっさい最近の僕は国内登山やトレッキングにはMSRの『ウィンドバーナー』を愛用している。
 かくしておこりんぼストーブの出番は激減し、最近ではギア部屋の棚に鎮座したままうっすらとホコリを被るようになってしまった。たまにヤツと目が合うと鼻の穴を膨らまして僕を睨み付ける。なんだこの軟弱者め、たまにはオレ様を旅に連れて行け、と。
 そんな時には丁寧にホコリを払い、ジェットを掃除し、パッキンにオイルを差してやるのだが、そのぐらいでは彼の機嫌は直らない。「まあ、そう怒るな」
 短気な相棒を僕はなだめる。「最後はやっぱりオマエだからさ」
 いつかまた“果てしない旅”に出る時にはこのストーブしかないと思っている。それはもう掛け値なしで、僕はそう決めているのだ。

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