新潟の「遊」びと「食」|三条の名峰粟ヶ岳と背脂ラーメン【後編】

前編に引き続き誌面版「BACKCOUNTRY RESEARCH」の巻末に掲載された同記事をWEB版ではフルバージョンでお届け!

杭州飯店のルーツ

 山に登り、背脂も注入した!さぁいよいよ杭州飯店 三代目 徐直幸さんにお話を伺っていこう。まず徐さんと杭州飯店のルーツから伺った。

 「私のおじいさんは中国出身で日本各地を回っている中、仙台で屋台を手に入れ、屋台ラーメンをはじめたんです。屋台を引きながら景気がよいところを転々と移動していったそうです。4号線を南下して郡山、そこから49号線で新潟に向かう途中の津川で祖母と一緒になり、燕、三条が景気がよいと聞き、中之口の土手を通って燕へ。これが昭和8年頃で、すぐにいい物件が見つかり福来亭というお店をはじめた。」

 「屋台では十分な火力が得られないことから細麺のあっさりスープのラーメンを出していたが、すでにその頃から燕は工場が多く、肉体労働の工員たちが多かったので、もう少しお腹に溜まるラーメンを出してあげたいと思うが、単純に麺や肉を増やすとコストが上がってしまいお客さんに申し訳がない。何とかコストを上げずにお腹いっぱいになる方法がないかと模索している中で、肉屋の片隅に除けられている豚の背脂を見つける。値段を聞くと箱代だけでいいというので、早速配達を頼み、今の背脂入りスープのベースができあがりました」

 これが昭和10年頃のことで、麺はまだ太くなかったが背脂が入ることで甘みと腹持ちがプラスされ、何よりスープが冷めづらく最後まで熱々で食べられることで満足度が上がった。

終戦の翌年に直幸さんの父(徐勝二さん)が生まれ、昭和40年前後に福来亭に入り高度経済成長期を迎える。

 「この頃から出前が多くなって、例えばA社に30杯、B社に50杯、C社に60杯とこれが毎日のように続き、まだ町自体が小さかったので自転車回れるレベルだったが、流石にこの数になるととても一人では賄えず、先発隊数名が向かい、帰りの途中で後発隊と空のオカモチを交換するというバケツリレーのような状態だったそうです(笑)ただ、まだ細麺だったものですから出前先に届くころには麺が伸びてしまう。」

 そこで当時製麺をしていた勝二さんが太麺を思いつき、試行錯誤をしながら徐々に太くなっていき今の太さに行き着いた。結果、麺のグラムが増え、お客さんの満足度は更にアップしていった。

 「昭和54年に店が手狭になり、中華料理もやってみたいということで、杭州飯店が生まれました。現在は1階しか使用していませんが、当時は宴会なども対応できるように2・3階もあり、3階の100畳ほどの大広間では結婚式も行っていました。」

 高度経済成長期真っ只中、車を所有する人が増え、郊外だったということもあり中華料理というよりはドライブがてら手軽に食べられるラーメンが残り、今のスタイルになったそうだ。

 「毎年北海道からキャンピングカーで来てくれるお客さんや旦那さんが背脂ラーメンの味が忘れられず、沖縄から新婚旅行で来た人もいました。」

なぜ背脂ラーメン店が増えたか

 徐さんと杭州飯店のルーツはわかったところで、もう一つの疑問点、「なぜここまで背脂ラーメン店が増えたのか」を伺っていきたい。

 「元来、時代背景と試行錯誤の中で背脂ラーメンが生まれたので、杭州飯店が背脂ラーメンの元祖とか、本家とかいうことは言ってこなかったのですが、増えた理由として祖父は教えてくれと言われればみんなに教え、働いていた人が独立したりして増えていったんです。それと祖父の娘夫婦が福来亭の支店を“本寺小路”(北三条駅 南側に位置する飲み屋街)に出したことをきっかけに中華亭さんやいこい食堂さんができたことで三条でも拡がりました。」

現在の福来亭 白山町店は父 勝二さんの甥っ子が切り盛りし、長岡の人気店“安福亭”は祖父 昌星さんから教わった父 勝二さんの弟弟子から始まるなどやはり背脂ラーメンの起源は徐ファミリーから始まっていることがわかった。

杭州飯店のこれから

最後にこれからの杭州飯店について伺ってみた。

 「祖父から始まって創業約90年、今の味になってから50年以上が経っているが、おやじから教わったことを普通にやっている。基本的な部分は何も変えていない。特徴のあるラーメンだから、何か変えると味の変化が顕著に表れてしまうので。いままでやってきたことを続けていくことが大切だと思っています。うちの店には昔から週一くるおばあちゃんも、二世代、中には三世代でくるお客さん達がいる。これは変えずにやってきているからこそだと思っています。本当にありがたいですね。」

 直幸さんは毎朝6時30分に釜の火を入れ、その日の分だけのスープを仕込む。以前までは製麺も一人でやっていたが、今は息子さんと半々でやっているという。跡継ぎ、4代目もおり杭州飯店は安泰!いつまでもこの味が、このラーメンが食べられるのは嬉しい限りです!貴重なお話、ありがとうございました!

徐さんとMSR

 実は徐さんに取材する理由はもうひとつあった。それはハーレー乗りでMSRのテントを使ってツーリングを楽しんでいるのだ。

 「バイクは16歳ぐらいから乗っていて、ハーレーは2000年に初めて買ったんだけど、当時はハーレー=テント泊という風潮で、家業がこれだったからキャンプとかはしたことがなかったので何を買っていいかわからなかった。ハーレー乗りの先輩達の中に安福亭(長岡を代表する背脂ラーメン店、お店の看板にはラーメンどんぶり片手にハーレーに乗る男が描かれている)の大将がいて、MSRのテントをすすめられ、ハーレーと同じアメリカブランドで、何より理にかなった無駄のないフォルムが気に入ってしまい値段は高かったけど買ったのが最初。」

 実は徐さんのMSRテント歴が凄い!

 「一番最初に買ったのが“ベロ”で、10年以上使ったかな、そのあとにフロアレスのツインシスターズ買って、もっと設営しやすいモデルをと、ハバツアーを追加した。」

いずれも前室が大きく、バイクツーリングにもってこいなモデルラインナップになっている。

 「いまでも東北から静岡ぐらいの1泊2日でいける場所はよく行くし、年に一度、1週間の休みを取って北海道に行くのが恒例になっている。北海道に行くときは大体一人、長い距離を走るから自分のペースで走れるのと、人の予定を気にせず、好きなところや好きなようにいけるから。」

 最後に無理を言っていつものツーリングスタイルで愛車に跨がってもらった。180㎝はあろうガタイにラングリッツレザーの上下が抜群に似合うし、その拘りがカッコイイ!そして駆る愛馬はFLTRXS ロードグライドスペシャル!もうめちゃめちゃカッコイイ!ただただカッコイイ!というわけでお店の前で写真を1枚。これからもMSRのテントと共にツーリングを楽しんでください!

取材こぼれ話

 取材している中で杭州飯店もうひとつの名物である餃子について伺った。  父 勝二さんは末っ子で親元にいると甘えるからと中学から東京に出され、高校卒業までいたそうだ。その時によく食べていた飯田橋の餃子の味が忘れられず、福来亭になかった餃子を始める。しかし前著したように多忙を極めていた時だったため、祖父からは「お前ひとりでやれ」と言われるが、もちろんたくさん包んでいる時間がなかったので、2個分を1個に包んだのが始まりとのこと。あの肉々しい餃子。。思い出すだけで口の中に涎が溢れる

杭州飯店

新潟県燕市燕49-4 TEL:0256-64-3770
営業時間 平日11:00〜14:30、17:00〜20:00
土・日・祝11:00〜20:00売切次第終了 月曜休

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