この記事は、2022年秋発行のBACKCOUNTRY RESEARCH WINTER 2022/2023に掲載された記事をオンラインに転載したものです。
白瀬ルートによる南極遠征の概要
冒険家の阿部雅龍さんがチャレンジした2度目の南極遠征はロマンに溢れている。氏と同じ秋田県出身の探検家、白瀬 矗(しらせ のぶ)が1912年に南極点を目指した夢を110年といつ年月を経て引き継ぐものだからだ。当時計画されていた「白瀬ルート」での現在における南極点到達は、行程の難易度に加え、出発点までのチャーター便に6000万円という莫大な資金が必要となることから、未だ誰ひとりとして達成どころか遠征の実現すらできてない。
そのスタート地点、白によって命名された大和雪原(やまとゆきはら)に阿部さんが立ったのは、2021年11月19日のことだった。白瀬隊が海岸沿いから大ゾリで辿り着き、撤退を決定した、360度見渡す限りに広がる大雪原だ。
「感慨深い瞬間でした。憧れていたレジェンド以来、100年以上誰も立ったことのない、夢にまでみた場所に自分が立っている。そしてそこからの数百kmは人類が誰ひとりとして歩いていない所をひとりで歩くわけですから。それも多くの方からのご支援を頂いて。本当に、世界で一番の幸せ者だと思いましたね」
冒険家としての阿部さんの歩みは、すべて”単独・人力”という条件によるものだった。経歴の一部を時間軸で抜粋すると、自転車での南米大陸縦断(10,924km)、米国コンチネンタル・ディバイド・トレイル踏破(4,200km)、アマゾン川のいかだ下り(2,000km)、そして幾度かの北極圏徒歩の経験を経て、2019年に日本人初踏破となるメスナールートでの南極点到達(918km)などがあるが、実はこれらすべてが今回の白瀬ルートへの伏線であり、大冒険にチャレンジするためのキャリア形成に要した路だった。わずか数10cmの一歩をひたむきに重ね、壁となる数多の障害も乗り越えてきたからこそ到達した大和雪原。その感動の深さを他者が計ることなど不可能だろう。
そしてそこから、130kgのソリを引く単独無補給、南極点へ向けたおよそ1,200kmに及ぶ本当の冒険が始まった。白い地平線が続く景色の中を歩き続ける阿部さんは、大方6時に起きて8時から自身で決めた時間、今回の遠征であれば10~12時間ほどを徒歩行動したそうだ。風が強く吹けば体感で-30°Cまで冷え込み、快晴無風ならー6°Cまで暖まる。雪質も様々で、吹き溜まれば深い場面だってある。もっとも手強かったのは、柔らかいけど冷えている雪だそうだ。表面が乾燥してソリが滑らない状況を、まるで砂の上で引っ張っているようだと比喩した。
そうした様々な状況の変化に進める距離は大きく左右されたが、これまで同様に一歩一歩を前へ踏み出し続けた。しかし、歩き始めて54日目、最大の難関であろう南極横断山脈越えの麓までの780kmを歩いた時点で、ベースキャンプとの協議のうえ冒険の中断を決定した。
実はスタート前からコロナの影響でベースキャンプ自体の設営が遅れ、ルート上に存在する大きなクレバス迂回によって100km以上も距離が伸びていた。最初から時間と距離の計算が合わない状態を強いられていたが、南極点ピックアップのタイムリミットは変わらない。
「規模の大きい遠征は精神戦ですね。今回はスタートから厳しい状況に直面して非常に苦しかったんですが、何が起こるか分からないのが冒険であって、それを納得したうえで自分で決断しているわけですから、言い訳にはなりません。それでも、山脈を越えた先の南極点に到達し、子どもの頃からの夢が叶った時に自分は何を感じるのか、何が見えるのか、それを知りたいから、諦めずにもう一度行ってこようと思います」
この11月、阿部さんは再び中断した今プロジェクトを続けるべく、横断山脈の麓からリスタートを切る。フラットを歩き続けた今回とは違い、悪魔の舞踏場と称されるクレバス多発地帯へ向けて3,200mまで一気に標高を上げる困難なルートへと入る。その計画を前のめりに語る阿部さんは、まるで小学生のように眼を輝かせていた。
2024年3月27日、かねてより病気療養中でした極地冒険家の阿部雅龍さんが逝去されました。
自らの目標にストイックに向き合い直向きに努力を積み重ね、時に無邪気に目標のその先を語る同氏の姿に私たちは共感し、また尊敬を抱きMSRのアンバサダーとして活躍していただきました。
夢の実現の為に常に努力を惜しまない同氏の姿は、夢は叶うという事実を我々に教えてくれました。
そんな同氏の冒険を、「より大きな冒険を解き放つ鍵」を作ることを理念とするMSRのギアで支えられたことを誇りに思っています。
阿部雅龍さんが挑戦した数々の旅、冒険、そして夢に深く敬意を表すとともに、氏のご功績を偲び、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
MSRサポートチーム