文:前原大和
写真:夏目啓一郎
僕が冬の朝日岳に行き始めたのは2013年頃からだ。当時20代前半の僕はハーフパイプやパークライドもやっていたが、徐々に山滑りの世界にのめり込んでいった時期でもある。中学生時代から谷川岳でバックカントリーをしたり、スキー場の裏山やゲレンデサイドを地元の大人たちと滑ったりしていたこともあり、若くして山滑りにはそれなりに経験があった。海外遠征や日本各地を転々と滑っていた数年間もあり、気持ち的には地元に戻り土着しようとしていた。
2011年から2015年の頃までは谷川岳に本当によく通っていた。雪が降って晴れ予報が出ればすぐに撮影の予定を立てた。当時僕のことを撮ってくれていたのは桑野智和さん通称、桑photoだ。谷川岳の斜面ありとあらゆるところを滑った。当然マチガ沢も落した。マチガ沢に関しては昔から現在に至るまで勝山尚徳さんが滑り続けている。僕の中ではノリさんの山というイメージが強い。ノリさんは本当に雪質やライディングの時間にこだわった撮影を今も続けている。僕もマチガ沢を滑走した後は、誰も滑っていない場所、誰も行っていない場所、自分だけの場所が欲しいという気持ちに強く駆られた。
そこで目に入ったのが谷川岳の隣の山、朝日岳だった。ヤマレコの記録では3月4月にスキーやスプリットボードでの縦走記録はあったが厳冬期に朝日岳で滑走した記録はない。誰もやっていない時期に手付かずの斜面を狙う挑戦が2016年から始まった。
僕の他には桑photo、阿部亮介が初期のメンバーであり、彼らのお陰で今の自分がある。手探りで始めた朝日岳の挑戦は何度も失敗を重ねた。1シーズンに10回以上アタックをした。毎週の様にチャレンジするペースである。雪が深すぎて辿り着けない日があり、荷物が重すぎて途中で断念する日があり、行ったけど悪天候で何もできずに下山した日もあった。自分の持っている山道具を全て見直し軽量のものに買い替え、本当に必要なものは何かよく考えていた。秋のうちからテントや食料を山奥にデポするということまで行った。
そうして挑戦を繰り返した数年があり、今では自宅から双眼鏡を覗けば雪付きやコンディションが大体わかる様になった。雪庇がこの大きさの時期は現場はこんな状況だとか、ここにウインドリップがある間はまだ雪がそれほど多くないとか、毎年この日取りは絶対にコンディションがいいとか。山行に失敗することが少なくなった。
僕が朝日岳にこだわり過ぎていることで気持ちの行き違いが生じ、現在の山行メンバーは多少入れ替わってしまったが、逆に新しいメンバーを連れていけるレベルに自分が成長していた。危険な経験をし、危険な場所を知った。入り組んだ沢や迷い込みそうな樹林帯、いくつか越えなければ戻れない尾根の帰り道も、遠くを見渡して正確に帰れる様になった。
僕にとっての朝日岳は近所にある海外だ。ひたすらに歩くことさえできればお金をかけずに行ける異世界だ。目に映るもの、感じる空気、夜の寒さ、肩に食い込む重い荷物、限界に近い体力との勝負、全てが日常では感じられない快感だ。何よりこの山では人に会うことがない。競争率ゼロの遠すぎる場所。きっとずっと行くと思う。
MSRアンバサダー
前原大和
(まえはら やまと)
- 出身地: 群馬県
- 主な活動エリア: 谷川岳 みなかみ宝台樹
- スノーシューモデル: LIGHTNING ASCENT 22
日本屈指の豪雪地帯、群馬県みなかみ町に生まれ育ち、2歳からスキー7歳からスノーボードを始める。
ほうだいぎスキー場ゲレンデ内に実家があり、幼少期はソリやスキーで通学し、ゲレンデ内をランドセルを背負って歩いていた。
現在ではバックパックにテントを背負い、周辺の山々をスノーボードで開拓し続けている。